魔を避け幸運を授かる古代からのお守り
勾 玉


数々の神話が言い伝えられている出雲の古墳からは数多くの勾玉が発掘されています。

中国の易学、陰陽(オンミョウ)五行説では、「男は陽・女は陰」「日(太陽)を陽・月を陰」「天を陽・地を陰」と各々を陰陽とし、二種の気として表し、陰陽は「宇宙のパワー」であり、陰のエネルギーを司り月のパワーを持つ勾玉は、持っている人の幸せを必ずバックアップしてくれると言い伝えられています。勾玉は、巴の文様にもされ、日本では土器時代から魔除け・招運・愛を育み、勾玉を身につける人をさまざまな害から守ると言われ、首飾りやペンダントなどの装身具類に使われていて、韓国では国旗、屋根瓦の模様など家の周りに数多くの巴紋が使われています。また、曲がったかたち(カギ型)に魔を遠ざける力があるとされ魔除けとしても使用され、首飾りにすると勾玉の尾は外側に向かって突き出すので、これに悪しき物から身を守る威力があるとされていました。古来より、勾玉は三種の神器「鏡・剣・勾玉」のひとつで、三種の神器を神前に祭る神道の祭事に使用され、その素材は主に、土器・動物の牙・ヒスイ・青メノウ・水晶・ガラス・銀などですが、峯工房では、輝きを失わない素材、チタンを使用しています。


太極図  巴紋  勾玉

太極図は主に中国・韓国で使用される文様で、陰陽五行説と密接な関係を持っています。
日本でも陰陽紋として有名です。



勾玉(提供: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』抜粋)
勾玉(まがたま、曲玉とも表記)は、古代の日本における装身具の一つである。曲玉とも呼ばれる。

Cの字形またはコの字形に湾曲し、玉から尾が出たような形をしている。丸く膨らんだ一端に穴をあけて紐を通し、首飾りとした。孔のある一端を頭、湾曲部の内側を腹、外側を背と呼ぶ。多くは翡翠、瑪瑙、水晶、滑石で作られ、土器製のものもある。その形状は、元が動物の牙であったとする説や、太極図を表すとする説、母親の胎内にいる初期の胎児の形を表すとする説などがある。古代から、「魔を避け、幸運を授かる物」とされていた。現在では縄文時代極初期の?状耳飾りが原型であると考えられており、日本の縄文時代の遺跡から発見されるものが最も古い。朝鮮半島へも伝播し、B.C.6世紀から3世紀初頭の無文土器時代にアマゾナイト製の勾玉が見られる。縄文時代早期末から前期初頭に滑石や蝋石のものが出現し、縄文中期にはC字形の勾玉が見られ、後期から晩期には複雑化し、材質も多様化する。縄文時代を通じて勾玉の大きさは、比較的小さかった。弥生時代中期に入ると、前期までの獣形勾玉、緒締形勾玉から洗練された定形勾玉と呼ばれる勾玉が作られ始め、古墳時代頃から威信財とされるようになった。1993年に東京都板橋区四葉遺跡の弥生末期の方形周濠墓から長さ7.4センチメートルのヒスイの勾玉が出土している。古墳時代前期の古墳から硬玉ヒスイの勾玉が出土することが多い。大阪府和泉市黄金塚古墳では、大小の勾玉が34個も見つかっている。この内にはヒスイの勾玉が26個が含まれている。古墳出土の勾玉の大きなもので3~4センチメートルであるが、1912年発掘の大阪府堺市の塚周り古墳(大山古墳の陪墳か)出土の大勾玉は、長さ約6センチメートルである。天皇家に伝わる三種の神器の一つに、八尺瓊勾玉という勾玉が数えられる。また武寧王陵など韓国内の王墓からも発掘されており、これらは日本から伝来したものという説が有力である。


三種の神器(提供: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』抜粋)
三種の神器(みくさのかむだから、さんしゅのじんぎ)とは、天孫降臨の時に、天照大神から授けられたとする鏡・剣・玉を指し、日本の歴代天皇が継承してきた三種の宝物である。

神器とは神の依代(よりしろ)を意味する。天皇の即位に際し、この神器の内、鏡と剣のレプリカ及び勾玉を所持することが日本の正統なる帝として皇位継承の際に代々伝えられている。但し過去には後鳥羽天皇など神器がない状態で即位したケースもあり、必ずしも即位の絶対条件ではない。三種の宝物とは、「八咫鏡」・「八尺瓊勾玉」・「天叢雲剣」(「草薙剣」)のこと。神器という言い方が一般化したのは南北朝時代ごろからと言われている。『古事記』では、天照大御神(あまてらすおおみかみ)が日子番能邇邇藝命(ひこほのににぎのみこと)に「八尺の勾?(やさかのまがたま)、鏡、また草薙(くさなぎの)剣」を授ける。『日本書紀』本文には三種の神宝(神器)を授けた記事が無く、第一の一書に「天照大神、乃ち天津彦彦火瓊瓊杵尊(あまつひこひこほのににぎのみこと)に、八尺瓊の曲玉及び八咫鏡・草薙剣、三種(みくさ)の宝物(たから)を賜(たま)ふ」と記している。古代において、鏡、玉、剣の三種の組み合わせは皇室だけに特有のものではなく、一般に支配者の象徴であったと考えられ、仲哀天皇の熊襲征伐の途次、岡県主の熊鰐、伊都県主の五十迹手らは、それぞれ白銅鏡、八尺瓊、十握剣を差し出して恭順の意を表している。また景行天皇に服属した周防国娑麼の神夏磯媛も、八握剣、八咫鏡、八尺瓊を差し出している。また壱岐市の原の辻遺跡では最古の鏡、玉、剣の組み合わせが出土されている。現在では八咫鏡は伊勢の神宮の皇大神宮に、天叢雲剣は熱田神宮に神体として奉斎され、八尺瓊勾玉は皇居の御所に安置されている。また皇居には八咫鏡と天叢雲剣の形代があり、八咫鏡の形代は宮中三殿の賢所に、天叢雲剣の形代は八尺瓊勾玉とともに御所の剣璽の間に安置されているとされる。儒学伝来以後、鏡は「知」、勾玉は「仁」、剣は「勇」というように、三種の神器は三徳を表わすという解釈もある。なお、これら三器を「三種の神器」と総称する用例は、『平家物語』、『神皇正統記』などに見える。また『神皇正統記』では、「三種の神宝(さんしゅのしんぽう・みくさのかむだから)」とも称される。また、この三種の神器にちなみ、家電製品などで、優れた品質の物を三つ上げて「三種の神器」と呼び、又、アニメや漫画などにおいて「強力な武器」や「優れたアイテム」3種を挙げて「三種の神器」と呼ぶこともある。これは、宗教上の意味の「巡礼」が転じて、小説などの舞台となった場所を訪れることを「巡礼」と称するのと同じ経緯の用法である。


                 


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